4.18.2011

長靴を履いたら


4月の妙高。こんなでっかい山々に抱えられた生活は羨ましい。暮らしの中にランドマークになるような巨大な産物がある事は、そこに住む人たちは知らず知らずの内にみな自然への敬意と共存への意識が身についているのでしょうか。勝手なイメージでしょうか、考えすぎでしょうか。ちょっと視野を広角にするだけで大きな受け皿の上に道なんて作ってみて、更に車がちょろちょろと走っている事に気づきます。温暖な三重県では、水をはった田んぼやトラクターを目にするようになりました。今日は田植えです。掘阪山や局ヶ岳が見えるといいのですが、残念ながら曇り空で霞んでいます。 「この秋が雨か嵐か知らないが、今日も田んぼの畔の草を抜く」 以前退職した時、先輩より自分に宛てられた寄せ書きのメッセージを思いながらの農作業です。

4.15.2011

東北の空

たった一人の人も幸せにできない人間にもかかわらず偽善者ぶって被災地に入り、目の前の自分にできる事に全力を尽くす事は決して無意味な事では無いと思います。 余震の危険。放射能の危険。 それらを不確かな情報だからと言って無鉄砲に動くのはどうなのか?そんな疑問を抱く余裕こそが傍観者である事を現場は物語っていました。 心地よいはずの春風を感じるたび「涼しいー」と言いながら、 誰もが脳裏によぎる原発の二文字。東北自動車道を北上する途中に見た緑の看板、福島(fukushima)に特別な思いを 抱かずにはいられませんでした。 今や世界においてtouhoku、fukushimaは死の地域と認識されている事でしょう。確かに画面上で見る戦場には何の希望も無く写ります。しかし自分の目で見た戦場は、たった数メートルの差の中に、くっきりと生死を分けるラインが存在していました。深く残酷な津波の爪痕でした。 橋一つ渡れば一見何の変哲もないどこにでもある町の風景が今も残っています。 被害の少なかった近隣地域を拠点に内外部の人々によって精力的な復興支援が行われ、 物質的、精神的な好影響がもたらされている現状が「希望」だとするならば、 それらをどれほどの範囲で飲み込んでしまうのかさえ未知数の、 未だ明確な打開策さえ見えてこないまま全土を脅かし続ける「原発」と「人類の今後」は、 実に恐ろしい境地に立たされていると思います。ただ忘れていけない事は、現場で復興のために全力を尽くす人々や、 この苦難を乗り越えようと必死で前を向く人々が、そう遠くない場所で今も今を過ごしていると言う現実です。写真は4月14日現在の宮城県・石巻市の現状。震災から1ヶ月経った、同じ空の下にある現実です。 今回微力ではありますが、宮城県・石巻地域にて仮設移動式シェルターの製作に係わらせていただきました。

被災地域の少しでも早い復興を祈ります。

4.03.2011

四国へ山旅





西日本最高峰 石鎚山 1982M

二千メートル峰にも春の兆し。